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指導者の条件

白雲

 一国を治めるには、人々の心を服させる、納得させることが非常に大事だと思います。

 人々の心を心服させないと、どんなによい法律をつくっても、どんなに美しい気持で人民に臨んでも、現実には立派な政治は行われません。為政者には施(賞をやるなどして、人々を納得させ満足させること)と寛(寛容・寛大な気持)がなければ人々の心は満足し、納得しないものです。

 そこで人々を心服させるにはどうすればよいか、肝腎のところをお聞きしたい。それから、名君といわれる人には、どうも人心が服さないと言われますが、これについてはどう思われますか。

白雲山人このように質問した。

これに対して、述斎先生こと墨水漁翁は次のように応えた。


墨水


 人々を満足させるために、むやみに賞などを濫発するのはよくありません。また寛大すぎると、規律がゆるんで万事だらしなくなるという弊害があります。このように人民や部下に褒美を与えてご機嫌をとったり、失敗を大目に見て人心を得ようとするのは、そもそも本筋から外れたことです。

 上に立つ人は自らの徳と日頃の行いが大事であり、それによりご機嫌などとらなくても自然に人々を感化していくというやり方であれば、人々は自ずから心服するものです。

 それから、いわゆる名君と言われる頭のいいトップに人々が心服しないのは、頭のいい人というのは、とかく計略、手練、手管に頼りがちなので、人々は一杯はめられるのではないかと警戒して信用しないからです。

 スケールが大きくて、屈託がなくゆったりとして、身体の内部に何ともいえない温かい徳が満ちて、その人徳が外に現れているような人に、どうして心服しない人がありましょうか。

 それはそれとして、賞を与えるのも程度と方法によってはけっこうですが、国を治める人がケチはのは困ったことです。寛大であるのはやはり大事なことです。

 上の人が何かにつけて重箱の隅をほじくるように細かいところに立ち入るのは、下の人にとって堪えられないことです。



白雲

 国家の災いは君主の私欲から、大臣たちの私心から、また下僚たちが私党・派閥を組むことから起こるものです。

 その根本原因は、公の国家を忘れて、私に惹かれることにあります。そこで公儀を立てることを提唱します。部分でなく全体を、私でなく公をすべてにつけて優先する。

 主君と家臣がこの点でぴったりと意思を一致させて政治に取り組めば、国家が治まらないことはないと思います。



墨水

 公儀についてのご意見、もっともです。しかし、今のエリートたちを見ていると、彼らが公としているところにまた大小、軽重の違いがあります。人物・品格の高い人と低い人では、考えている公の段階が違うのです。

 今の時代にも公はありますが、その公とするところが、いざ自分のことになると、みんな器量が小さくて、問題が大きくなると、いつの間にか公が私に変化してしまうのです。

 結局、人物の器量が小さくてケチであっては、何ごともうまくいかないのです。器量の大きな人物(大才の者)が、国がいかにあるべきかを明らかにすれば千年に渡る太平の時代でも見通すことができます。

 せめて公私の区別をはっきり分けて考えることができる人材がほしい。それさえわきまえることができない人々が、天下国家を議論できるものではない。

 しかし、そういう人間に限って、突き詰めると自分のことを考えているのに、自分は公の仕事をやっていると思い込んでいる人ばかりなのです。



白雲

 悪知恵にたけた者が悪事を働き、君子を騙すことがよくあります。

 君子は騙されても、悪い奴らの策略は巧妙なので気づきません。それならば、君子が逆に、悪い奴らの悪知恵の上をいく策略をめぐらして、彼らを騙し、善行を行わせることができれば、その利益は非常に大きいと思います。


墨水

 その考えはいけません。元来、君子と小人は白と黒、よい香りと悪臭のように相反するもので、どんなに手を尽くしてもうまくいくものではありません。

 君子が小人を逆に騙して、善事をなそうとするのは、君子でありながら小人の手練手管を使うことになり、その時点で物事に対処する心のありようが正しさを失っていることになります。

 ですから、たとえ一時的には成功したとしても、いつまでも通用する正道ではありません。



白雲

 英雄豪傑は、一度は成功しますが、最後の段階で失敗することが多いのはなぜですか。


墨水

 その原因は学ばないからです。


白雲

 人は今の出会いを空しく過ごしてはなりません。

 一生は帰ることのない旅のようなもので、そのうちになどと思っていると、山水のすばらしい景色も、二度と訪ねることはむずかしいものです。

 当面する苦労などは忘れて、いまのうちに手柄を立てて名声を残すべきです。そうしないと、再びあのすばらしい景色の地を訪ねないうちに、中途半端なままで一生を終えてしまいます。


墨水

 手柄を立てて名を残そうというのは、功利的な考え方で、真の道理ではありません。漢の武帝の名臣・董仲舒(とうちゅうじょ)はこう言っています。

「利益を得たり、成功者になることが大事なのではない。人間として大事なのは、いかにすることが正しい法則か、正しい道かを明らかにすることである」と。

 この言葉をよく考えてください。何ごともその場限りでやりっぱなしにしないで、じっくりと一つの問題を成し遂げなければなりません。

 また、機会があればなどと思っているうちに、中途で生涯を終えてしまうという説はもっともで、今も昔も人々の犯しやすい誤りです。

 チャンスを逃さぬように心がけていないと、それで終わってしまいます。そのうちになどと空しい期待を抱いてはいけないという戒めです。



 以上のような問答が紹介されている。

 じっくりと読むと味わいがあるものである。


 最後に本書に出てくる「五寒」という言葉を紹介する。

 前漢の劉向(りゅうきょう)という学者が、国家が滅びる徴候には、次の五つのことがあるとしている。

これが「五寒」である。


一に曰く、政外る

(政治のピントがはずれる。やっていること、議論のポイントがはずれてくる)。


二に曰く、女遏覆呂押砲掘塀・・咫垢靴・⊇个靴磴个襪茲Δ砲覆襦法」


三に曰く、謀泄(はかりごとも)る(国家の機密が漏洩するようになる)。


四に曰く、卿士(けいし)を敬せずして政事敗る(識見・教養のある者を大事にしないで、無責任な政治をやるようになる)。


五に曰く、内を治むる能わずして而して外に務む(国内を治めることができないので、国民の注意を外にばかり向けるようになる)。


 こういう現象が現れるようになるとロクなことはない、という。

 まさに今の、どこかの国のことを言っているようです。


 天下のこと、会社も同じかもしれないが、最初はうまくいくが、小さな傷も徐々に大きくなるもので、終わりを全うしないことが多い。

 だから、何ごとも初めにどう決着を付けるかを決めておくことが大切だ、

と墨水先生は言っている。


タグ:帝王学
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